花は若いころ、とても車に弱くて、獣医さんに予防注射に行く時の十五分ほどの乗車時間でも、あぶくを吹いて苦しんでいました。 (車に入れただけで即、気分が悪くなっていたので、かなり精神的な物だったと思います)
旅行や帰省の長時間ドライブに耐えられるよう、訓練?したり、箱に固定して動けなくしたり、いろいろやってみましたが・・・車にはなかなか慣れることができませんでした。
なので、酔い止めの薬を飲ませていましたが、そうすると酔わないのですが、目がとろんとなり、よたよたして足がおぼつかなくなりそれまた心配でした。
酔い止めを飲ませた花↓
汚さないように、周囲に布を敷いて、洗い桶の上にいるようにさせましたが、桶の中からすぐ出てしまいました。
ジロは車酔いはしませんが、長時間の時は念のために、飲ませたので目がトロンとしています。
奈良の柳生の里へ、行ったときの写真。
柳生石舟齋が天狗を相手に修行していて、天狗と思って切ったらこの石だったという
巨大な一刀石がありました。
柳生街道は他にも巨石や武家屋敷があったのを覚えています。
花はあるときを境に、車に酔わなくなりました。
2003年夏、ジロと花が四歳の時、軽井沢に行ったときのことです。
軽井沢滞在中に、横川(群馬県安中市)にある碓氷峠鉄道文化むらに行きました。
碓氷峠鉄道文化むらは、新幹線が通って廃止になった信越線旧碓氷線の歴史を伝える鉄道歴史テーマパーク。
碓氷線は横川から軽井沢まで、かなりの勾配のある線で、往復するのに、強力な電気機関車二両がすべての通過列車を牽引して走っていました。普通の電車や特急電車など、その区間だけ電気機関車に押してもらわなければ、オーバーヒート?してしまうからです。
子どもの頃にこの線に時々乗っていたので、懐かしい路線です。東京側から行くときは、横川駅で機関車の付け替え作業で十五分ほど停車するので、その間に横川の釜めし弁当を買うのが楽しみでした。
義母も新潟と東京を往復するのに、この線を使っていて、横川の釜めしが楽しみだったと言っておりました。
夜中に安中駅に停車して「あんなか~あんなか~」と放送があるのを心細く聞いていたそうです。
今は新幹線で安中榛名を過ぎたらあっという間に軽井沢で(それもトンネルばっかりで何も見えず)あっけないですね。便利になったのはいいですけどね。
碓氷峠で、機関車にけん引された列車は、とても速度が遅くて、横川と軽井沢の間が三十分以上かかりました。
トンネルに何回も入り、従兄弟がトンネルの数を大声で(間違えながら)数えるのが恥ずかしかったこと、車窓から見える妙義山が不気味に見えたこと、など憶えています。
さて、碓氷峠鉄道文化むらは、元横川機関区の施設だったところなので、線路が何本もあり、整備工場のような建物もそのまま残っています。
構内には多くのなつかしい鉄道車両が展示されております。
特急あさま、昔よく乗った懐かしい電車。旧国鉄のマークが懐かしい。
屋外に展示されているSL.
古い荷物車。こんな客車、今では見られませんね。屋根の形も古い。
このように、外に展示されている車両は雨ざらしで、年々傷んでいくと予想されます。
十一年前の写真なので、現在はもっと傷んでいることでしょう。
↓トラックの下に線路用台車がついて、線路を走れるようになっています。
この建物は、昔の機関区の建物そのまま↓
中も使っていた当時そのまま。普通はこんな場所に社員でなければ入れないので、楽しい。
建物内にも電気機関車がいます。屋根があるところの車両は保存状態が良いでしょう。
素敵な電気機関車ED42
アプト式時代にもう一つ古い旧旧線で活躍した機関車。
こういうタイプの機関車はとてもかっこいいと思います。
このEF62とEF63が急こう配の坂道を、特急電車などを引っ張っていました。
また、小さい子供向きに、構内に子供が乗れる小さな列車が走り、子供向きにも配慮されていました。
また電車の話か、いつまでやるんだとうんざりされそうなので、これはこのへんにして・・・
↓この横川駅から、旧信越線を歩いて、もう一つ古い旧線への連絡場所まで、歩けるようになっています。
まだ架線も架線柱も残っていて、今も使えそうな旧信越線。
左側の線路は、現在トロッコ列車が丸山変電所まで行き来できるようになっています。
もう軽井沢には行けません。ただし線路は残っていて、トンネルもふさいでないので、巨額な費用をかければ軽井沢まで行けるようになるかもしれませんが・・・観光トロッコ列車だとしても、あの急こう配を上り下りするのに、EF63に押してもらわなければならず、難しいでしょうね。
こんなところ、物好きしか行きまへん!おいらたちもつき合わされました!
丸山変電所までこの線路道を歩き、変電所あたりから、その線路道と別れ、連絡路を通って、アプト式鉄道の線だったより古い旧線跡を歩いてめがね橋まで歩きます。アプトの道と言うらしい。
横川からメガネ橋まで五キロの元線路を歩く、物好きでないと行きませんね・・・
旧アプト式の線。
レールはもう取り外されています。
アプト式というのは、レールとレールの間に、かみ合わせのギザギザレールがもう一本あって、かみ合わせて滑り落ちないようにする装置がついた鉄道のこと。
これがギザギザのラックレール
アプト式の線が廃止されて新しい普通の線に変わったのは昭和41年。
大量のラックレールがはずされてしまいました。
ところが、このラックレールはとても丈夫。捨ててしまうのはもったいない。
軽井沢や周辺の町の側溝に使われました。
今もけっこう残ってるようですね。
アプト線では、浮遊霊や地縛霊が浮遊してそうな、朽ちかけた トンネルをいくつも通り抜けます。
怖いけれど、電気がついてますから通れます。
この線を、様々な思いで多くの人たちが列車に乗って通過したと思うと感慨深い。
このトンネルを抜けるといよいよめがね橋。
メガネ橋。明治25年に完成し、昭41年までアプト式線を支えてきた橋。
めがね橋の上で。
アプトの道遊歩道は当時はここまで。
この先は、トンネルがま真っ黒な口を開けていました。
トンネル嫌いの私にはドキドキしました。
現在は、この先も歩けるようになり、熊ノ平駅まで行けるそうですね。(軽井沢までは行けない)
次回ココに来たときは熊ノ平までぜったいに歩きたい。
愛犬がいなくてさびしいけれど・・・
で、話を戻しますと、(花の車酔いの話)めがね橋からまたえんえんと廃線跡の道を五キロ弱歩いて、横川駅まで戻りました。
横川に着くといつの間にやら、日は傾いておりました。車に乗り、国道18号線を通って中軽井沢のペンションに向かいます。
めがね橋から国道18号線を望む↓
この18号線は軽井沢と横川の間、これでもかこれでもかとヘアピンカーブがしつこく続きます。車に弱い人なら確実に酔ってしまいそうな悪路。
もっと楽な道や高速道があるので、よほどでなければ通らないという道です。
我々はそこをわざわざ選んで(メガネ橋を下からもう一度見上げたかった)軽井沢に向かったのでした。
車は九十九折リの道をぐんぐん進みます。しかし花はまったく平気でぐーぐー眠っていました。薬は早朝に一錠飲ませたきりです。効き目は六時間くらいで、とっく切れているはずなのに、気持ちよさそうに、大揺れの中、眠って過ごしました。
それからです。
花が自信を持ったのかどうか知りませんが、車酔いを薬なしでもしなくなったのです。
わが家では「碓氷峠のおかげ」と今も感謝しています。
以降の旅行、獣医さんへ行く時など、平気になりました。
中軽井沢のペンションでくつろぐ。
たくさん歩いてつかれたよ~
軽井沢・三笠でのタロ(ジロと花が生まれる前)
軽井沢、三笠の池で泳ぐタロ
水があれば、入り泳ぎたくなるわんこでした!
ロシアンな花ちゃん
韓流ジロ
イタリアンな花